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AUTOCULT オートカルト 05037 1/43 イソッタ フラスキーニ 8C モンテローザ ザガート 1947 ダーク/ライトブルー

型番 05037
定価 22,000円(税込)
販売価格(送料無料 18,800円(税込)
購入数

■商品名:AUTOCULT 1/43 イソッタ フラスキーニ 8C モンテローザ ザガート 1947 ダーク/ライトブルー
■スケール:1/43
■年代:1947
世界限定333台
お取り寄せ
※売り切れの際はご了承願います。

チェーザレ・イソッタとヴィンチェンツォ・フラスキーニは自動車の輸入、販売、修理をする会社を1900年1月27日にミラノに設立した。
イソッタ フラスキーニという略称で、この工場は自動車業界で知られるようになったが、1934年の夏、ラジエーターに会社のロゴが付いた最後の一台がラインを通過しその生産を終えた。

国の意向により、それ以降はイタリアの航空機用のエンジンを製造を行っていたが、経営陣に自動車生産に戻りたいという願望が再び沸き起こった。
終戦後の計画はすでに立てられ、そしてその計画のなかに裕福な顧客の為の車も含まれていた。排気量3.4L、出力125hpのV8リアエンジンは車を時速170kmまで加速させることが出来るはずだった。
それは1945年のイタリアでは常識を超えた速度であった。

車体は43歳のファビオ・ルイジ・ラピによってデザインされた。その伸長されたデザインによって広い内装に6シートが確保できた。車体の製造については、イソッタ フラスキーニはウーゴ・ザガートの会社に委託した。
今日、ザガートは1番目だけのボディを作っただけで2番目は最初のボディを改造したものであると考えられている。戦前の類型に基づき、彼らがその車に付けた名前がティーポ 8C モンテローザだった。

今日まで生産されたプロトタイプの正確な数については色々な説がある。
数は3台から6台の説があり、2台のザガートボディと1948年のコンバーチブルバージョンが判明している。
高級コンバーチブルバージョンの車体はザガートではなく、車体メーカーのボネスキが製造したものである。

イソッタ フラスキーニについては、イタリア当局が許可しなかったため、最終的に自動車の生産は再開されなかったが、代わりに工場はボートエンジンの生産に専念した。

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