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AUTOCULT オートカルト 05050 1/43 マイバッハ DS8 コンバーチブル

型番 05050
定価 32,450円(税込)

■商品名:AUTOCULT 1/43 マイバッハ DS8 コンバーチブル
■スケール:1/43
■年代:
予約品 10月16日締切 発売予定 2024年11月

【#05050 マイバッハ DS 8 カブリオ ツェッペリン 1930 〜海外駐在員の贅沢〜】
マイバッハの世界に贅沢の限度はなかった。

インテリアはもちろん、ボディ、エンジン、シャシーも常にこの原則に従って設計されていた。

1931年フリードリヒスハーフェン工場はDS8という略称で新機軸を打ち出した。

この略称は 「Double Six 8 Liters Displacement 」の頭文字をとったもので、DS7と比べ、後継モデルの12気筒エンジンはまるまる1リッター拡大され、排気量は8リッターとなった。

シャシーだけで1,950kgという高重量であり、これは170km/hを出すのに十分だった。

そしてバキューム式のプリセレクション・シフトを採用した新型5速トランスミッションも高速性を支えた。

シャシーには3,660mmと3,750mmの2種類のホイールベースが用意された。

当時52歳だったグスタフ・アウグスト・ハインリッヒ・ツィングは、フリードリヒスハーフェンの工場にDS8を注文した際、ホイールベースの短い下部構造を選択した。

1899年にドイツからベネズエラに移住したハンザ同盟の大富豪は、1931年にスポーン社製のボディを装着した2ドアスポーツコンバーチブルを故郷に持ち帰った。

ツィングは彼の白いオープンカーを、当時マイバッハが提供していたツェッペリン・ラインに仕立てた。

これには、フェンダーをわずかに変更し、ランニングボードがフロントとリヤをつなぐ役割を果たすなど、ボディへの介入も含まれていた。

彼のDS8は、第二次世界大戦後にアメリカ人の手に渡り、2004年にドイツに戻ってきた。

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