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AUTOCULT オートカルト 04035 1/43 FRM ジャレー 1935

型番 04035
定価 23,650円(税込)
販売価格(送料無料 22,800円(税込)
購入数

■商品名:AUTOCULT 1/43 FRM ジャレー 1935
■スケール:1/43
■年代:1935
世界限定333台
お取り寄せ

1930年代前半にFRMを設立した立役者は、シュテファン・フィッシャーとオットー・ライマンであった。

FRMは「Fischer Reimann Motoren」(フィッシャー・ライマン・モーター)の略である。

シュテファン・フィッシャーは自動車設計を学び、技術的な知識を会社にもたらした。

その研究を通じて、ポール・ジャレーとの知遇を得ることになった。

ポール・ジャレーはステファン・フィッシャーを有望な人材と見て、商人のオットー・ライマンも彼の可能性を認めていたが、会社設立のための資金調達という課題に直面していた。

2人は、IGセリグ銀行を説得し、必要な資金を提供することができ、7人の社員がFRMに就職し、最初のプロトタイプの製作に専念することになった。

1935年にはテスト車両を走らせることができた。

その年の終わりにはその成果に満足がいくものとなっていたので、1936年春には、ベルリンまでの長距離テスト走行が可能になった。

その最初の走行の旅で、シュテファン・フィッシャーはスイスのポール・ジャレーを尋ねた、おそらく、自動車空気力学の巨匠であり、シュテファン・フィッシャーの師でもあるポール・ジャレーのもとで、この車をデモンストレーションしたかったのだろう。

技術的な面で、生産開始を妨げるものはそれほどなかったのだが、当時の政治的な展開が徐々に大きな障壁となっていった。

フィッシャーはユダヤ人であり、1938年ついに祖国に背を向けイギリスへ逃れる決意をしたのだった。

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